【解説】なぜミャンマーでクーデター? | アウン・サン・スー・チーって何をした人?

アウン・サン・スー・チー 国際協力
アウン・サン・スー・チー
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ミャンマーのアウン・サン・スー・チーさんとはどのような人なのでしょうか?
2021年2月現在、ミャンマーでは軍事クーデターが起こり、スー・チーさんを始め政権幹部が捕まっているというニュースが話題となっています。
このクーデターとミャンマーの歴史、アウン・サン・スー・チーさんについて紹介します。

私は以前、東南アジア企業との協業などで関係があり、政治状況や歴史について勉強していました。
また、現在も東南アジアへの国際協力活動に関わっていますので、そこから得ている知見も踏まえて書きます。

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【解説】ミャンマーでアウン・サン・スー・チーさんが拘束されるクーデターが発生

ミャンマー軍
ミャンマー軍

2021年2月始めにミャンマークーデターが起きました。
クーデターというのは暴力による政権交代のこと言います。

具体的にいうと、ミャンマー軍が政権を持っていた大統領やアウン・サン・スー・チー国家顧問らを拘束し、新しい大統領を就任させました。

ミャンマーは軍事国家的なシステムが残っているものの、選挙で代表を決めてきますので、クーデターのように武力を背景にした政権交代は許されません
このクーデターを受けて、国内では軍事政権に対するデモが発生しており、国際社会からも非難する声明が出ています。

なぜこのようなことが起きてしまったのでしょうか?

【解説】ミャンマーでクーデターが発生した理由

2020年11月のミャンマー総選挙
2020年11月のミャンマー総選挙

クーデターは現在でも世界の色んなところで起きていますが、内紛のような状態でなければ、現政権に大きな失政があったり不満が高まると起きることが多いです。
しかし、今回のミャンマーのクーデターはちょっと違います

ミャンマーは歴史的な背景から軍が権力を持ちやすい法制度になっているのですが、現在は民主的に選ばれたNLD(国民民主連盟)が強い支持を受けています。
ここ数年間、軍としては自分たちの力が政権に及ばなくなることを懸念してきていたわけです。

そんな中、昨年11月で行われたの総選挙ではNLDが苦戦することが予想されていましたが、蓋を開けてみると、NLDはスー・チーさんの人気と景気の好調を理由に大勝することとなります。
この選挙に軍はいちゃもんをつけてきます。

今回のクーデターの理由は、この総選挙が不正であるという理由から実行されています。
確かに選挙にはミャンマーに利害のあるアメリカ企業が開票に関与していたり、怪しいところはありましたが、法手続きにのっとり選挙を終えています。
海外からの選挙監視団も入っており、選挙の違法性がなかったことは発表されています。
(マラウイの不正判決のでた大統領選挙でもEUの選挙監視団が入ってましたけどね…)

この不正選挙を理由に軍部はクーデターを起こしたわけですが、現在のところ不正が立証されているわけではありませんし、その証拠が提示されているわけではありません。
ミャンマーでは歴史的に軍政権が長く続いていたということと、民政化した今も軍が強い権力を持っている状態です。

なぜこのような体制になっているのか、ちょっとミャンマーの歴史を見るとわかってきます。

【解説】ミャンマーでクーデターが起きやすい歴史背景

ミャンマー国旗
ミャンマー国旗

ミャンマーは日本とは戦時中に関係のあった国の一つです。
日本は大東亜戦争(太平洋戦争:第二次世界大戦)でミャンマー(当時のビルマ)に進攻していました。

その当時日本の敵国となるイギリスの植民地となっており、日本の支援の下にイギリスから独立を達成します。
日本としてはイギリスの中国への補給路を経つ意味で、日本・ミャンマーの双方にとって理のある協力でした。

この時にミャンマー側で活躍したのが、ミャンマー建国の父である「アウンサン将軍」でした。
アウンサン将軍はアウン・サン・スー・チーさんのお父さんです。
彼は独立を目前に反対勢力に暗殺されてしまいますので、この悲劇も彼を偉人とすることに拍車をかけている感じはします。

独立後、日本の影響下にありましたが、日本は敗戦でミャンマーから退き、イギリスも戦後の疲弊でミャンマーから手を引き、改めて独立することになります。
その後紆余曲折あり、社会主義を基本とした軍事政権が50年間ほど続きます。

このように近代ミャンマーの歴史では、そのほとんどが軍政によって国家運営がされる社会主義国でした。
憲法も軍政が敷きやすいものになっていますし、社会主義運営のための権力構造が残っています。

ミャンマー軍政による社会主義国家運営は、中国・ソ連、他の社会主義国と同様に厳しい状況となってきます。
そして1980年代からミャンマーでは民主化の気運が高まり、そこに抜擢されたのが、建国の父の娘であるアウン・サン・スー・チーさんでした。

そしてアウン・サン・スー・チーさんはNLDを率いて2015年に総選挙で圧勝し、政権を取って現在にいたることになります。

アウン・サン・スー・チーさんは日本ではよく名前は知られていますが、どのような人で何をした人なのでしょうか?

【解説】ミャンマーのクーデターで拘束されたアウン・サン・スー・チーさんとは?

アウン・サン・スー・チーさん
アウン・サン・スー・チーさん

英語名では「Aung San Suu Kyi」と書きます。
発音は「キー」ではなく「チー」なんですね。
ミャンマー語の発音が「チー」に近いらしいです。

アウン・サン・スー・チーさんの父は先ほども紹介したように、建国の父であるアウンサン将軍で、ヒーローの娘ということになります。
そして、彼女はインドのデリー大学が政治学を学んだり、イギリスのオクスフォードで勉強していたりと超エリートです。

海外での民主政治・民主社会をよく知っており、国民的ヒーローの娘ということで民主化のアイコンとしてはうってつけだったわけですね。

アウン・サン・スー・チーさんは1998年にNLD(国民民主連盟)の結党に参加し、1990年の総選挙に備えておりましたが、NLDの圧勝が予想されるようになると、軍政権が彼女を軟禁してしまいます。
1990年の総選挙では予想通りにNLDが大勝しますが、軍政権がそれを認めず政権移譲を拒否しました。
もちろんアウン・サン・スー・チーさんの軟禁も継続していました。

その後の軍事政権による軟禁は20年継続します。
20年の軟禁ってすごいですよね。完全なる人権侵害です。

その間に彼女はノーベル賞平和賞など色々な賞を受賞しますが、受賞式には参加できていません
また、軟禁中にイギリス人の夫が病床にありましたが、それでも夫のいるイギリスへの出国はせず、夫はアウン・サン・スー・チーさんに再会することなく亡くなってしまいました
軍政権から出国は認められていましたが、出国すると入国できなくなることがわかっていたので、彼女は出国しなかったのです。

アウン・サン・スー・チーさんに対する軟禁は、軍政権に国際世論の大きな批判を呼びました。
そして2010年に遂に軟禁から解放されることになります。

2015年の総選挙では下馬評通りにアウン・サン・スー・チーさん率いるNLDが大勝します。
しかし、軍政権は家族がミャンマー人でなければ大統領になれないという法改正を行っており、息子がイギリス籍であるアウン・サン・スー・チーさんが大統領職へ就かせないようにしていました。

このことから、NLDは大統領の上に「国家顧問」というポストを作り、アウン・サン・スー・チーさんが就任します。
法的に「国家顧問」という地位に根拠はないのですが、彼女はインタビューで「私が全てを決める」ということを宣言していました。
事実上のトップということになります。

ロヒンギャ問題が最近起きており、国際的に彼女は非難されていますが、正直国民からの支持を失うほどのことではありません。
ロヒンギャ問題については、ミャンマー国内からの見方と国際的な見方で様子が異なるので、これについては別記事で書きたいと思っています。

このように国民からの絶大な支持の中、アウン・サン・スー・チーさんは政権を取るわけですが、このような中、軍部は自分たちの存在感にかなり危機感を持っていたはずです。
そして、今回のクーデターにつながっています。

今、ミャンマー国内ではクーデターと軍政権に対してデモが行われています。
国際世論も軍事政権を非難する声明が出てきていますが、どのような状況になっていくのでしょうか?

【解説】ミャンマーのクーデターによる今後のゆくえとアウン・サン・スー・チーさん処遇

ミャンマーでのデモ
ミャンマーでのデモ

今アウン・サン・スー・チーさんや政権にいた幹部数名が拘束されていると言われています。
しかし、殺害されたり、暴力的なことをされることはないと思います。

そんなことをしたら一気に国際世論の非難は強くなりますし、何より国民からの反発が起き、統制不能となります。
これまでのミャンマーの歴史から考えて、国民や国際世論の反応を見て、早期に解放するのではないかと私は思っています。

クーデター発生後から、早々に他国からは非難する声明が出てきています。
アメリカのバイデン大統領からも制裁を行う意向が表明されていますね。
経済制裁を実施する国は増えていくことが予想されます。

日本もミャンマーの民政化を前提に支援が行われてきていますので、今実施されているODA(開発援助)は、このまま軍政権が続けば中止されるはずです。
民間でも早速キリンが、ミャンマー軍系の企業とのビールの合弁企業設立を解消していますね。

現地ではクーデター実施後に通信が遮断され、軍政権は統制に躍起となっています。
当初は中国系の通信会社は利用可能だったようですが、ミャンマー国営企業や国営TVを中心にインターネットの遮断を開始しました。

銀行では政情不安を見て現金引き出しをする人が多く発生しており、いくつかの銀行はすでに営業を停止しています。
ATMでは多くの人が列を作っていたり、スーパーでは買占めが始まっているところもあるようです。

クーデター直後から国民の平和的なデモも日に日に大きくなっています。
現在は数万人規模まで大きくなっているようですが、今後さらに大きくなり、誤って衝突が起きるようなことがないことを祈るばかりです。

今回のミャンマーのデモや、昨今のタイのデモなどで3本指を突き上げたジャスチャーを見ることがあるのではないでしょうか。
この3本指が何を指しているのか知っていますか?

【解説】ミャンマーデモの3本指の意味

タイで3本指を立てている抗議運動
タイで3本指を立てている抗議運動

ミャンマーでの抗議デモで3本指を上に挙げている姿が見られています。
これは映画の「ハンガーゲーム」に出てくるジェスチャーで、独裁への抵抗を示しています。

今回のミャンマーのデモに関わらず、ここ10年くらい東南アジア中心にデモ活動で見られるジェスチャーです。
特に数年前のタイでのデモではよく見られ、一時期政府によってこのジェスチャーが禁止されていたくらいアイコニックなものになっていました。

映画由来なのはわかったとして、なんで3本指なのか、という話です。
これは私の完全な推測です。

イギリスでは人差し指と中指の2本を立てて手の甲を相手に向けて見せる行為が、侮辱する行為として使われます。
ピースの逆向きという感じでしょうか。

イギリス以外では日本も含めてこのポーズをする人が多くいますが、イギリスではやらないことをお勧めします。
テレビ放送では、これを意図してやっている指にモザイクが入るほど侮辱的な行為と認識されています。

これは由来が所説ありますが、中世時代に敵に捕らわれた戦士は弓を引けなくするために指を落とされることがあったのですが、そこから、弓を引く2本の指を相手に見せつけて「まだ弓が引けるぞ」という挑発行為になったと言われています。

映画の「ハンガーゲーム」では主人公が弓矢を使って戦いますので、その2本指の由来から発想されているのかな、と個人的に思っています。

まとめ

ミャンマーの首都ヤンゴンにある「ボタタング・パゴダ」
ミャンマーの首都ヤンゴンにある「ボタタング・パゴダ」

ミャンマーでは勢力の弱体化を恐れた軍部が、去年の総選挙の不正を訴えてクーデターを起こしました。
アウン・サン・スー・チーさんらを拘束し、新大統領を擁立しています。

これに国際世論は非難をしており、国民は連日平和的な軍政権への反対デモを行っています。

ミャンマーは軍事政権色の強い体制となっており、民政化したとは言え、歴史的にも法的にも軍部が政治的な力を持ち易い状態です。

軍部が政権に近づけないように、法改正すればいんじゃない?と思った方がいるかもしれません。
ミャンマーの現行法では、法改正には3/4以上の議会の賛成が必要なのですが、議会の1/4は軍部が指名する仕組みになっています。
これは軍政権時代に制定された内容です。

ですので、どう考えても軍部に不利になるような法改正はできないのです。

今後、このクーデター政権が続くと、国際社会からの本格的な制裁や国民からの圧力が強まると思います。
その一方、軍事政権を支持する中国と、民主化を支援するアメリカや西側諸国との綱引きも始まるはずです。
(もうすでに裏では始まっていると思います)

このクーデターによってミャンマーがどうなっていくのか、ミャンマー国民はどうするのか。
私たちは国際社会の一員として注視し、やれることをやらなければなりません。

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