マラウイでは毎年1月15日を「ジョン・チレンブウェ・デー」(JOHN CHILEMBWE DAY)として祝日となっています。
ジョン・チレンブウェは独立と自由の象徴として、種族・宗教を超えてマラウイで最も尊敬され英雄視されている人物です。
このジョン・チレンブウェは何をした人なのでしょうか?
マラウイに行ったことある人なら必ず見たことがあるけど、そうでない人は全く知らないこのマラウイの英雄について紹介します。
アフリカ、マラウイの英雄ジョン・チレンブウェとは?
たぶんマラウイ人に「マラウイの英雄は誰か?」と質問すると、多くの人が「ジョン・チレンブウェ」と答えると思います。
マラウイの国内をあるいていても、彼の肖像を見かけることはあるのではないでしょうか。
ジョン・チレンブウェはマラウイの植民地からの独立を訴えて運動を行ったキリスト教の牧師さんです。
チレンブウェは白人支配に対する蜂起を起こし、その蜂起の中1915年に殺害されてしまいます。
その数十年後マラウイはイギリスの植民地から独立し、彼は自由の象徴として英雄として語られており、現在では彼の誕生日である1月15日は祝日で、マラウイ・クワチャ紙幣のMK2,000とMK500には彼の肖像が描かれています。
2012年以前の紙幣に関して言うと、全ての紙幣に彼の肖像が入っていたそうです。
マラウイの通貨につてはこちらに詳しく紹介しています。
そんな英雄ジョン・チレンブウェはどのような経緯で蜂起したのでしょうか?
アフリカ、マラウイの英雄ジョン・チレンブウェが蜂起にいたるまで
ジョン・チレンブウェは、現在のチラヅル県サンガノで生まれました。
ちなみに洗礼前の名前はンコロゴという名前だったそうです。
父親はヤオ族で、母親はマンアンジャ族だったとされています。
チレンブウェは1892年から1895年にかけて、平等原理主義の宣教師ジョセフ・ブースの下で勉強をはじめます。
ジョセフ・ブースさんは「アフリカ人のためのアフリカ」という有名な言葉を残した急進的な宣教師です。
チレンブウェはプライドが高く、独立心が強かったが、白人から学ぶことに熱心だったといいます。
1897年、ブースはチレンブウェをロンドン、リバプールを経由してアメリカに連れて行きます。
チレンブウェはニグロ・バプテスト連盟の援助を受けて、黒人向けのヴァージニア神学校に入学します。
この時に、当時の「再建」時代の失敗やジム・クロウ法に対するバプテスト派の動きは、チレンブウェに影響を与えることになります。
彼はアメリカで、南アフリカ先住民会議、後のアフリカ民族会議(ANC)の総裁となるジョン・ドゥベなど、将来のアフリカの指導者たちとも出会いました。
この時の経験が、後の蜂起へ源泉となっていきます。
1900年にマラウイ(当時はまだニアサランド)に戻ると、ブランタイヤ周辺のニアサ人に教育と規律と誇りを与えるために、チラヅル県にProvidence Industrial Missionを設立します。
Providence Industrial Missionは修道院ではあるのですが、宗教・教育以外にも職業訓練のようなことも行っていました。
1912年には、独立したアフリカ人学校を設立し、レンガ造りの教会を建て、綿花、紅茶、コーヒーなどの農作物の栽培を開始しています。
このProvidence Industrial Mission(通称PIM)は今もチラヅルにあり、修道院として運営されています。
どんなところなのでしょうか?
アフリカ、マラウイの英雄ジョン・チレンブウェの聖地PIM
Providence Industrial Mission(PIM)はチレンブウェの聖地として観光地となっています。
ブランタイヤ県の東隣のチラヅル県(Chiradzulu)にあります。
ここへの行き方やPIMの詳細については別の記事で紹介したいと思っています。
ここではジョン・チレンブウェが瞑想に使ったと言われている(本当だろうか…)石の椅子や、彼が洗礼を行っていた池、設立した教会が見られます。
村のようになっており、今でも学校や職業訓練校があります。
管理事務所でお願いすると一通りガイドの人が案内もしてくれます(有料)。
ここには記念塔が建てられており、そこの壁には犠牲になった人、投獄された人たちの名前が書かれています。
さて、なぜジョン・チレンブウェは白人に対して蜂起することとなったのでしょうか?
アフリカ、マラウイの英雄ジョン・チレンブウェの蜂起
ジョン・チレンブウェは帰国後から、女性の権利からキリスト教の価値観に基づく平等まで、アフリカ人を教育することの美徳から土地所有権に関する懸念まで、権利を奪われたアフリカ人の声を代弁するようになっていきます。
彼の活動は当初、プロテスタントの白人宣教師たちによって支援されていたのですが、カトリックの宣教師たちとの関係はあまり良くはなかったといいます。
そして、1913年まで、白人優位である社会の中でチレンブウェは窮地に立たされていきます。
資金調達が困難となり、非常に印象的な大聖堂の建設費を借り、象牙狩りのための銃のライセンスを取り消され、1913年の飢饉によって多くのアフリカ人が助けを求める中、自身の体調不良(ぜんそくと視力低下)と娘の死が重荷になっていきます。
1914年8月には第一次世界大戦が勃発し、ドイツ領東アフリカ(現在のタンザニア)と戦うためにアフリカ人が大量に徴兵され、彼の聴衆は減少していきます。
1914年11月、チレンブウェは政府を糾弾する厳しい手紙を書いて送付しています。
平和な時代には、すべてはヨーロッパ人のためだけにある…
しかし戦時には、(私たちは)平等に苦難を分かち合い、血を流すことが必要なのだ…
チレンブウェは、地元の白人事業家が自分の教会や学校を焼き払ったことなどを告発しています。
植民地政府が耳を貸さないので、チレンブウェは自分の手で問題を解決しようと提案したと言われています。
1915年1月23日(土)、チレンブウェは反乱を開始します。
この地域に新しい秩序をもたらすために、彼の目的に同情的な少数の白人宣教師を除いて、保護領内のすべての白人を殺害することを計画します。
しかし、蜂起を開始し数名の白人の殺害を行いますが、他の地区からは自殺行為だとして支持を得られることはなかった。
政府軍や義勇軍との小競り合いが続いたものの、1月26日(火)には、チレンブウェのすべてのミッションが放棄されます。
チレンブウェの建設した聖堂はその後、爆発物によって植民地政府によって破壊されます。
チレンブウェはモザンビークに逃げ、そこで1915年2月3日にアフリカ人兵士に殺されました。
彼は蜂起の直前に「一矢報いて死にたい」”Strike a blow and die”と200人の同志へ向けて伝えたと言われています。
その後、1964年に独立したマラウイでは、1月15日の「ジョン・チレンブウェの日」として、彼の蜂起がマラウイ独立闘争の始まりと考えています。
昨年、そのジョン・チレンブウェについて、素敵なニュースがあったのをご存じでしょうか?
アフリカ、マラウイの英雄ジョン・チレンブウェがロンドンに!
イギリスの首都ロンドンにある観光名所、トラファルガー広場にジョン・チレンブウェの像が建てられることになりました!
昨今、世界でブームとなっている「Black Lives Matter」の影響も相当にあるとは思いますが、マラウイに関わる者としては嬉しいニュースです。
Trafalgar Square Fourth Plinth: Winning design a ‘litmus test’ for society | BBC
【マラウイニュース】ジョン・チレンブウェ像がロンドンのトラファルガー・スクウェアに建立 | Moni Malawi
トラファルガー広場には、「第4の台座」(The Fourth Plinth)と言われる展示場所があり、そこには2年に一度の入れ替わりで様々なアート作品が展示されています。
今回その場所に、マラウイ人アーティストによる「Antelope」と名付けられたジョン・チレンブウェの像が、2022年の9月から2年間設置されることとなっています。
この像では、チレンブウェは帽子を被っています。
これは、当時帽子を被ることを許されていなかった黒人が帽子を被ることで、白人への反抗を表しているそうです。
ロンドンに訪れた際には、ぜひチレンブウェ像を観にいってみてください!
ジョン・チレンブウェのまとめ
ジョン・チレンブウェはマラウイの独立運動の先駆けとなった蜂起を行って殺された、マラウイの英雄であり自由の象徴です。
チレンブウェの蜂起は、白人の支配、特にアフリカ人借地人や賃金労働者を抱える、白人農園での行き過ぎた残虐行為に嫌気がさしたことが根底にあったと考えられています。
そして、第一次世界大戦が勃発したとき、イギリスが東アフリカのドイツ軍に対してニアサの兵士を使ったことが、より直接的な原因だったのだと思います。
イギリス植民地でのマラウイ人のイギリス軍参加についてはゾンバの記事で少し触れています。
毎年1月15日はジョン・チレンブウェの日です。
特に何があるわけではない祝日ですが、マラウイ民族主義の先駆者であり殉教者であるチレンブウェについて思い出してみてください。
そして、マラウイに来た際にはPIMへ、ロンドンに行った際にはトラファルガー広場で英雄ジョン・チレンブウェを感じてみてください!
参考資料
https://aaregistry.org/story/john-chilembwe-born/
https://www.britannica.com/biography/John-Chilembwe
https://africasacountry.com/2015/12/the-legend-of-john-chilembwe
https://blackpast.org/global-african-history/chilembwe-john-c-1871-1915/
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