コービー・ブライアント(Kobe Bryant)ってどんな人?

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アメリカのバスケットボールリーグであるNBAの歴史に間違いなく名を残すであろうスーパースター、コービー・ブライアント(Kobe Bryant)が2020年1月26日に13歳の娘と共に乗っていたヘリコプターの事故により41歳で他界しました。
コービー・ブライアントとはどのような選手だったのでしょうか。簡単に紹介したいと思います。

参照:The Guardian | Kobe Bryant obituary
https://www.theguardian.com/sport/2020/jan/27/kobe-bryant-obituary

目次
コービー・ブライアントの幼少期
コービー・ブライアントの青年期
コービー・ブライアントのプロキャリア
コービー・ブライアントの残した功績

コービー・ブライアントはスーパースター

私が学生の時は「スラムダンク」の放送もありバスケの人気がありました。自宅の駐車場にはベニヤ板で作った手作りのバスケットゴールがあり、毎日バスケをしていました。
友人の買う「月バス」(月刊バスケット)を毎月見せてもらったり、衛星放送のNBAの試合をよくみていました。
コービー・ブライアントは間違いなくその当時のスター選手の一人でした。

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コービー・ブライアントの幼少期

少年のコービー

アメリカのフィラデルフィラで生まれる
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バスケットボール選手の父を持ち、父親がNBAでのプレーの後イタリアのリーグへ渡ったため、幼少期はイタリアで過ごす
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好きなサッカーチームはACミラン
彼の名前の「Kobe」は両親が日本の「神戸牛」から取ったそうです。

コービー・ブライアントの青年期

青年のコービー

高校生の時にバスケットをするためにフィラデルフィラへ戻る
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3年生になるころには大学のスカウトの目に止まり、プロチームである76ers’との練習試合に参加するようになる
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飛び級で大学へ行くこともできたが、高校3年生の時に、所属するLower Merionを州優勝に導く(大会中一試合平均31得点)
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大学への進学を決め、NBAのドラフトに登録

コービー・ブライアントのプロキャリア

若いコービー

ノースキャロライナのシャルロット・ホーネッツがレイカーズの選手と彼をトレードする事を条件に獲得します。
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当時彼はまだ18歳になる前だったので、両親が契約書にサイン
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レイカーズに加入した時、当時のリーグのトップスターだったシャキール・オニールも同じく加入
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スタメンに入る事ができないまま3年間を過ごす
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1999-2000年のシーズンにレイカーズはシカゴレッドブルズでマイケル・ジョーダンを指導した名将フィル・ジャクソンを迎える
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コービーとオニールを中心にチームを作り直し、3年連続でリーグ優勝。二人はスーパースターとなる。
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2006年にトロント・ラプターズ戦で一人で81得点を挙げる(個人得点としては歴代2位の記録)
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2008年にセルティックスとの決勝に敗れるものの。リーグMVPを獲得する
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その後二年連続でリーグ優勝
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北京オリンピック(2008年)、ロンドンオリンピック(2012年)に出場し共に優勝

コービー・ブライアントの残した功績

トロフィーとコービー
  • NBAキャリア通算33,643得点(歴代3位)
  • 5度のリーグ優勝
  • 20年間同じチームに所属(歴代最長)
  • 4度の年間最多得点
  • シーズンMVPを1度獲得
  • 一試合に81得点(歴代2位)
  • All-NBA Teamの最高選手の一人に11度選出
  • All-Starの試合に18度選出(MVP4回)

コービー・ブライアントはスーパースター

ジョーダンとコービー

3年前に20年のプロキャリアから引退しました。
私の学生時代の、間違いなくマイケル・ジョーダンに続くスーパーヒーローでした。
1978年8月23日生まれ、41歳にて2020年1月26日他界

彼についてもっと知りたいという方は、この本を読んでみてください。
スーパースターの内面についてもよくわかる本です。

KOBE BRYANT THE MAMBA MENTALITY HOW I PLAY

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