今エチオピア国内の内戦によって数万とも報告されている難民がスーダンに流れ込んでいます。
エチオピアでは何が起きていて、スーダンに逃げてきている難民は今後どうなるのでしょうか?
今起きているエチオピアの内戦の原因と難民の状況について、簡単にわかりやすく説明したいと思います。
マラウイを中心にアフリカを見てきている私の知見からまとめてみました。
今アフリカで内戦によって大量の難民が発生している「エチオピア」とはどんな国なのか?
まずはエチオピアがどんな国なのかを紹介したいと思います。
エチオピアはアフリカ大陸の東側にある国になります。
東にソマリア、北にエリトリア、ジブチ、西にスーダン、南スーダン、南にケニアが隣接した内陸国になります。
地図だとココになります。
マラウイはアフリカの南の方ですね。
エチオピアは1941年にイギリスの介入によってイタリアから独立しています。
「独立」と言っても短期間の間イタリア配下にいただけですので、事実上の植民地となっていたわけではありません。
このことから、アフリカ諸国で数少ない植民地化を回避した国の一つとされています。
ちなみに植民地化されていない国として「リベリア」も上げられていますが、エチオピアもリベリアも「植民地化」の定義によって「植民地化されていない」と言えるかどうかについては賛否あるようですね。
日本で「エチオピア」と言えば、「コーヒー」と「インジェラ」が有名でしょうか。
エチオピアのモカ・コーヒーはよく耳にしますね。
マラウイにも「インジェラ」を食べられるお店はありますが、私はあまり好きではありません…(酸っぱいのがニガテ)。
女性を中心にインジェラが好きな方は多いのではないでしょうか。
これは年代によりますがマラソン選手でベルリンと東京のオリンピックに出場した「裸足のアベベ」もエチオピア出身選手として有名でした。
たぶん日本で「エチオピア」が強く認識された最初の功労者かもしれませんね。
ちなみにアベベが裸足で走ったのは、運悪く靴を買うタイミングが無かったからだそうです。
それで走っちゃうのが凄いですよね。
エチオピアはサハラ以南ではナイジェリアに次いで2番目に人口が多い国で、1億1,000万人ほどとなります。
経済発展は目覚ましく、中国などの多額の支援もあり毎年GDP成長率7%ほど推移しています。
現在はアメリカの主要同盟国で、南スーダンとソマリアでの平和維持活動にも参加しており、アフリカでも有数の軍事力も持っています。
ちなみに、過去にエチオピアはロシア、中国、アメリカと外交の友好関係を変遷させていっています。
社会主義国時代には中国からかなりの援助を受けており、今も関係は続いています。
エチオピア人であるWHOのテドロス議長も中国寄りとして非難されていますが、彼も社会主義国化していたエチオピア政権での保健省と外務省を長く務めていましたね。
今のエチオピアは議会制民主主義国で、アビィ・アハメド氏が2018年から首相となっています。
現在は選挙が行われていますが、以前は軍政による社会主義国で、それより以前は帝政が敷かれ、皇帝が政治を行っていました。
エチオピアはかなり苦難の歴史を辿ってきているように見えます。
エチオピアの北にあるエリトリアは以前はエチオピアと同じ国でしたが、エチオピア・エリトリア戦争を経てエリトリアは独立しています。
東部のソマリアとは国境線を巡って戦争をしたり、その後に大干ばつに襲われるなど外的な問題に直面してきています。
また、内部的にも政治は不安定なことが多く、独立後の1974年に帝政がクーデターによって軍事政権に取って替わり、社会主義国となります。
そしてその後、1991年にエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)が軍政を破り、現行の政治システムとなります。
この一連のエチオピアの歴史の中に「ティグレ人」がいました。
ティグレ人の生活しているティグレ州はエチオピア北部のエリトリアとの国境線上にあります。
エチオピア・エリトリア戦争時には最前線としてティグレ州は戦地となりました。
1991年に軍政を破ったエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)を主導していたのはティグレ人によって構成されるティグレ人民解放戦線(TPLF)でした。
そして、帝政打倒後の政権の中核を2018年までの長期間に渡って担ってきたのがTPLFでした。
2年前、2018年にアビィ・アハメド首相就任し、2019年に連立政党を「繁栄党」として設立します。
この時にTPLFはこの新政党への不参加を表明しました。
今起きている内戦は「エチオピア政府」と「ティグレ人民解放戦線(TPLF)」の衝突となっています。
この一連の歴史の流れを知っていると衝突の経緯が理解し易いのではないでしょうか。
ティグレ人やTPLFとはどのような人たちなのでしょうか?
アフリカ、エチオピアで大量の難民を出している内戦の原因となっているティグレ(TPLF)とは?
「ティグレ人民解放戦線(TPLF)」は名前の通り、ティグレ人によって構成される社会主義をイデオロギーとしてる左翼政治・軍事集団と言えると思います。
ティグレ人は600万人ほどいると言われており、エチオピアの人口が1億1,000万人ほどですので、人口の約6%がティグレ人ということになります。
国内の民族で3番目に多いのがティグレ人と言われていて、1番多いのがオロモ人で34%、次にアムハラ人で27%、ティグレ人が6%ということなのでエチオピア国内の民族の多さがよくわかりますね。
このたった6%がエチオピアの政治の中枢に居続けたというのは、政治的(軍事的)に大きな力を持っていたというのが伺えます。
エチオピアでは連邦制が敷かれており、各州には軍を持つことが許されています。
現在、TPLFは最大25万人規模の兵力があるとされています。
エチオピアのこれまでの歴史にあったように、TPLFはエリトリアとの戦争では最前線で戦い、社会主義国時代とその後の政権の中枢にいたグループです。
戦闘経験も豊富で、武器についてはエリトリアとの戦争時にロシアからの支援を受けていたことからロシア製の武器を使用しています。
これまでエチオピアの政治の中心にいたTPLFですが、アビー・アハメド首相が連立政党を「繁栄党」として設立したのを機に中央政府から離れていきました。
エチオピア政府とTPLFの間には何が起きているのでしょうか?
アフリカ、エチオピアでの内戦の原因となっている政府とティグレ(TPLF)の間には何があったのか?
エチオピア政府とTPLFとの関係が明確に悪化したのは、アビィ・アハメド首相の繁栄党からのTPLFの参加拒否でした。
アビィ首相は連立政党を新しい政党に作り直すことによって、TPLFの影響力を弱めようとしたのではないかと見られています。
TPLFの指導者層からは、政権からの不当な追放や汚職疑惑の標的にされているとの訴えも出ていました。
首相は連邦制の憲法改正をしたいと思っていますが、TPLFはティグレ人の主権を守るために反発していることも裏にはあると考えられていますね。
また、ティグレ人はエチオピア正教会が多くキリスト教徒になります。
一方、現首相のアビィ・アハメド首相はオモロ人のイスラム教徒です。
このあたりも何か軋轢を強める要素になっているのかもしれません。
そして事件が起きます。
TPLFは9月にティグレ州の地方選挙を実施しようとしましたが、エチオピア政府がCOVID-19を理由に一度中止を命令します。
しかし、TPLFは命令を無視してエチオピア政府の未承認のまま選挙を実施しようとしたところ、暫定州政府をエチオピア政府が設立していまいます。
そして、エチオピア政府はTPLFが、ティグレ州の州都メケレにある政府軍の軍事基地を攻撃したとして開戦を宣言し、空爆と進軍を実施します。
しかし、TPLF側はアビィ首相が部隊を出動させるためのでっち上げだと反論しています。
これに応じる形で、TPLFはエリトリアの首都アスマラの空港をエチオピア政府軍が使用しているとしてロケットランチャーで攻撃をします。
エリトリアは現在、アビィ首相に代わってからのエチオピア政府とは良好な関係にあります。
その証拠に、アビィ首相はエリトリアとの関係改善に尽力したということで「ノーベル平和賞」を受賞しています。
このこともTPLFからすると気分の良いものではなかったのだと思います。
TPLFはエリトリアとの戦争でも最前線で戦い、その後もエリトリアとは対立していきていますので、エリトリアもエチオピア政府もTPLFから見ると敵ということになります。
その後、エチオピア政府はティグレ州に進軍させており、政府発表では11月19日時点で州都のメケレを制圧しつつあるとしています。
この一連の軍事行為についての情報は、両体制からの発表に基づいており、正確な情報が無いためにどちらから始まったものなのかはわかっていません。
ティグレ州では今、電話、インターネットがエチオピア政府によって遮断されており、ジャーナリストの取材も禁止されています。
政府軍は、TPLF、またはティグレ人と見られる人を「過激派」を称し550人を殺害し、29人が降伏したと放送しているようです。
この紛争によって何万人にものぼる難民が発生していると報告されています。
難民はスーダンで報告されていますが、地理的にエリトリアに流れる可能性もありますが、なぜスーダンなのでしょうか?
アフリカ、エチオピアでの内戦で発生している難民はなぜエリトリアではなくスーダンへ向かう?
これまで見てきた歴史からわかるように、「逃げるならスーダン」という選択は自然だと思います。
ティグレ人から見るとエリトリアは敵ですし、エリトリアは社会主義国です。
「アフリカの北朝鮮」と呼ばれるほどの国で、独裁政権による圧政が行われていますので、現在でもエリトリアからの難民がエチオピアに流れてきているほどです。
そのような国に逃げるならスーダンを選びますよね。
現実問題として、エリトリアは厳しく国境警備をしているということもあるのかもしれません。
スーダン側では約3万3,000人が難民となってると報告されています(11月21日時点)。
国連の発表では、半年で20万人が難民になるとの試算を出しています。
難民の話によると、空爆で自宅を破壊されたり、兵士に自宅を追い出されたりして逃げてきているようです。
複数の村で兵士による殺害や略奪も起きているという報告も出ています。
多くの難民を受け入れるスーダンのガダレフでは街の状況が悪化しています。
もともと貧しい地域のため十分な食料もなく、難民が地元住民の貴重な収入源である収穫前のトウモロコシを食べられているようです。
難民は滞在場所がなく、伐採した木を畑に敷いて寝起きし、トイレもないため衛生状態が悪化していると言います。
現在、NGOやスーダン政府を中心に支援が行われています。
しかし、今後も難民は増えることが予想されており、食料も不足し対応能力を越えていると支援団体関係者は言っています。
まとめ
今エチオピアで多くの難民を出している内戦は、エチオピア政府とティグレ人民解放戦線(TPLF)との衝突になります。
長く政権を担ってきたTPLFがアビィ首相の新政権から離れ、軍事衝突が始まってしまいました。
TPLFからすれば、これまでの歴史やアビィ首相の政略を考えると反発を理解できる人もいると思います。
エチオピア政府によるティグレ人への民族浄化との非難もあります。
エチオピア政府側からすれば、TPLFは左翼過激派集団で国を脅かす危険な存在だと考えているのかもしれません。
TPLF側、エチオピア政府側の両方から事実を見て、何が誤った判断だったのか、本当の原因は何だったのか、しっかり見極める必要があるのだと思います。
今は事実の確認が難しい状態です。
現実問題として多くの難民が発生していますので、その迅速な救済が求められています。
今後の状況は悪化することが予想されています。
長期的に見て、スーダンは豊かな国ではありませんし、今大量発生しているバッタの影響で収穫量も落ちている地域にもなります。
このまとめは2020年11月22日時点のものになりますので、これからも状況を注視していかなければなりません。
早期の停戦・解決をして、難民たちが一日も早く自宅へ戻り、平和な生活に戻れることを祈ります。
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